二月生まれの私は、十三歳の春に中学二年生になりました。新しいクラスの担任は、国語のA先生。のちに、生涯の恩師となる方です。
最初の授業で、先生はガリ版刷りのわら半紙を配りました。B6判ほどの小さな紙に、二編の詩が刷られていました。「爽やかな五月に」と「のちのおもひに」です。
はじめて触れたその言葉は、衝撃でした。背中を光が走り抜けたような感動がありました。今思えば、過去形で語られる倒置法や、ソネットという十四行の形式に驚いたのかもしれません。本をまともに読んだこともない子どもが、短い詩に心を動かされ、すぐに詩集を買いに行きました。詩人の名は、立原道造でした。
そのころの私は、中学を出たら大工さんになろうと考えていました。けれど、この詩人が東京帝国大学で建築を学び、設計事務所に勤め、二十四歳の若さで亡くなったことを知りました。そして、自分もそのくらいの歳で同じようになるのだろう、と思い込むようになりました。いま振り返ると、まさに中二病です。それでも、いつそうなっても悔いが残らないよう、精一杯生きてみようと決めました。
すると、後ろから数えたほうが早かった成績が、前から数えてすぐのところまで上がりました。「進学して、建築設計に進んでもいいと思うよ」。A先生のその一言があって、いまの私があります。
立原道造の全集は、中学生のころから三か月に一冊ほどのペースで買い続け、五巻までそろえることができました。そして五十年たった最近、ようやく最後の第六巻を手に入れました。本棚には、日焼けした五冊の横に、ビニールに包まれたままの第六巻が、色白に並んでいます。

たった二十四年の人生。実質は十八歳ごろからの七、八年のあいだに、これだけの全集を残した人です。私は、いまも深く尊敬しています。
みちざう工房の名前は、その詩人の名を、旧かな遣いのまま使わせていただいたものです。

コメント